誰のせいにもしないということ
わたしたちは日々すごす中で
何かが起こったときなど
つい誰かのせいや
環境のせいにしてしまうことがあると思います
あの人があんなこと言ったから
ああしてくれれば とか
まわりの人に変に思われたくないからこうしよう
などもそうかもしれませんね
親や家族がこうしてくれたら
パートナーや友達がこうしてくれたら
会社がもっとこうしてくれたら
上司がこうしてくれたら
国がもっとこうしてくれたら
お給料がもっとよかったら
お金があったら などなど
あげればきりがなさそうです…
わたしの記憶では
心理を勉強し始めたころに
「人は変えられない。変えられるのは自分だけ。」
ということを教えていただきました
それをきいたとき
え~それは理想だけど
大変そうだし自分はできるのかなと思ったことを覚えています
カウンセリングをすすめる上でも
大前提がその考え方なので
何かが起こったら自分の課題なんだよねと
思いながらやってきたように思います
でもそれは
自分を責めることとはちがうということをお伝えしなければいけません
誰のせいにもしないというのは
自分のせいにも 誰かのせいにもしない
ということなんです
むずかしいですよね
わたしも
そんなのありえるのかな
そう思える日がほんとうにくるのかな
と遠い目になりました
それほど
なにかのせいにするという考え方が
自分のあたりまえになっていたのですね
なにかのせいにするとき
わたしたちは責めていることが多いですよね
それは直接かもしれませんし
心の中でかもしれません
そして なにかのせいにしているとき
わたしたちは被害者の立場にいます
でもあるときに
はたと気づきました
被害者として生きているうちは
ほんとうに幸せを感じることはできないのではないのかと
そして これはいけないと思いました
そこから少しずつ
主体的に生きるということを
意識するようになりました
わたしの思考パターンとして
自分にとって都合のよくないことが起こったときに
まず自分を責める傾向があったので
落ち込むことが多かったです
でもあまりつらくなってくると
相手を責めるということをしていたように思います
結局は
自分を責めることと
相手を責めることは
自分に向くか相手に向くかのちがいだけで
やっていることは
あまり変わらないのですよね
気分がよくないことには変わりありませんし
そういうときは
カウンセリングに
ほんとうによく助けてもらいました
そういう思考パターンになる理由もわかって
自分ががまんしていた気持ちも吐き出せて
それでなんとかここまでやってきました
という感じです
いまは 何かが起こったら
もちろんその原因を考えますが
それで自分はどうしたいかなと
だいぶ主体的に考えるようになってきました
そうやって時間をかけて
自分はどうしたいかということをやっていくうちに
わかったことがあります
それは
誰のせいにも 何かのせいにもしない方が
とても気分がいいということです
そして 幸せだということです
自分の人生を自分で選択している感覚なのでしょうか
勉強を始めたころに
あの途方もなく感じた場所に
やっと近づいてきたのかもしれません
誰かのせいや 何かのせいにする方が
楽なのかと思っていたのですが
いま思うと自分にとって
よりきついほうを選んでいました
もっと早くにこのことを知りたかったけど
わたしにとってこれは
必要な道のりだったのかもしれません
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