それぞれの正しさ

みなさま 明けましておめでとうございます

新しい年になりましたね

一日一日はつながっているのですが

一年でこうして気持ちに区切りを持てることはありがたいことだと感じます

新しい年に思うこと

みなさんもいろいろあるのではないかなと思います

わたしは去年からずっと考えていることがありました

なぜか゛正しさ ”とは一体何なのだろうということがいつも頭の中にありました

わたしも含め多くの人が 日々人と関わりながら生きていると思うのですが

その中で 自分が正しいと信じていることが覆される瞬間があると思います

わたしもそういう経験をたくさんしてきて 今もそれは続いているのですが

その度に自分の価値観が大きく揺れ動き 感情も揺れ動きます

そして新しい気づきを得ることで揺れが収まる それの繰り返しでした

でも自分の゛正しさ ”にこだわり固執しているとジャッジが生まれます

それは当たり前のことだと思うのですが それがあまり意味がないことに思えてしまったのです

人によって゛正しさ ”の定義は違いますし 立場によってはその゛正しさ ”が

全く逆に思えてしまうこともよくあることです

ひとりひとりのベースが違うのに 何か物事に対してジャッジすることに意味があるのだろうかと

もちろん法律や規則になるとそれは別の話なのですが

例えば親子でも家族でもパートナーでも職場でも

それぞれの゛正しさ ”の押し付け合いで行き違いが生まれている気がするのです 

その゛正しさ ”の違いが価値観の違いなのかもしれないなあと思いました

良い悪い(正しい正しくない)でジャッジすることは

ときに相手を追いつめてしまうことがあります

そして自分の中でもそれは頻繁に行われているのはないでしょうか

こういう自分は良いこういう自分はよくない

それをそのまま周りの人にも押し付けているのかもしれません

自分がいつジャッジされるのかという不安があることだけはわかりますが

そうすることで何か実りあるものはあるのでしょうか

何をやってもジャッジする人もいるし そのままを受けとめてくれる人もいます

だから自分にとって重要なことは
自分がどうありたいか 自分がどうしたいのか

社会や人とどう関わっていきたいのかという自分の在り方なのだと思いました

もし゛正しさ ”を押し付けられたときにどうするのか

もし゛正しさ ”を押し付けたくなったときにどうするのか

そう考えたときに
わたしはこれから ジャッジすることをあまりしたくないなと思いました

自分にとって好ましいかそうでないか 自分の゛正しさ ”にそって生きていきたいなと

そしてまた自分の価値観が覆される出来事が起こったときには

そのことを謹んで受けとめたいと思いました

そうやって生きていけることが とてもありがたいことなのだと感じるからです

みなさま

こんなことを思っているわたしですが 本年もどうぞよろしくお願いいたします

自分を幸せに生きるためのカウンセリング

心理カウンセラーの佐戸恭子です 自分がどうありたいかを 感じ 気づいていくことを大切にしています

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