信じること
信じることは
人生の一番大きな喜びかもしれない
ということばをきいてから
そのことがずっと頭から離れませんでした
なんとなくそうだろうなあと思うのですけど
信じることそのものの
ほんとうの意味というか
自分の中でしっくりきていない感覚があり
日々を過ごしながらずっと考えていた気がします
わたしは自分のことを信じているのかな
おそらくですけど
誰かを信じることも
自分を信じることからはじまる気がしています
そこで思ったのが 自分の中で
信じているところと
期待しているところが
ごっちゃになっていたことです
信じているつもりだったけど
それは期待していたのかもしれないと
たとえば
誰かにこうしてほしいと思ったり
アドバイスをしたりして
それが思いどおりにいかなかったときに
がっかりしたり腹が立ったり
もう知らないよと思うのだとしたら
それが期待なのかしれません
期待というのは
するほうも されるほうも
身体に力が入ってしまう気がします
そこには
期待どおりにならなかったらどうしようという
怖れや不安があるような気がします
わたしたちは完璧ではないので
自分でうまくいかないという経験をしないと
わからないこともたくさんあると思うのです
そこで悩んだり
ほかのやり方を試してみたり
考え方を見直してみたりすることが
成長するということにつながっているように思います
信じるということは
何かうまくいかなかったときに
誰にでも自分の力でそれを乗りこえる力がある
と思えることなのかなと思います
そして
自分自身に乗り越える力があると思うことができれば
ほかの人にもそう思えるのだろうと思います
そこからつながっていくものは
自分は未熟な存在で
いいところもそうでないところもあって
うまくいってもいかないことがあっても
あきらめではなく
なんとなくだけどこれでいいし
大丈夫かもという感覚かもしれません
自分にとって都合がいいことだけではなくて
都合がよくないなということもOKだと思えることが
信じることなのかもしれないなと思います
自分が自分自身のことや
他のなにかを信じることがてきているとき
誰かが自分のことを信じてくれていると感じるとき
わたしが自分自身で共通して感じることは
心強さというか安心感というか
なにかどっしりした感覚です
もしかすると誰かに
こうあってほしい
こうあるべきだと
期待をするということは甘えなのかもしれません
そして 自分も
そういう期待に一生懸命こたえているのかもしれません
期待をすることがいけないとは思わないのですが
わたしたちは
どちらが心地よいか
自分はどうしたいのかを考えることができるし
誰を信じるのか 何を信じるのかを
自分で選ぶことができるということを意識してみると
また今までとちがったものが見えてくるのかなと思います
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