問題だと思っていること

わたしたちは日々いろいろなことが起きますね。

思いどおりにいかないことだったり 問題と思えることだったり。

ほんとうは問題ということばがあまり好きではなくて

ただ問題だと感じることがいま現れているだけだと思っています。

そして今の状況になっているのには理由があって

なぜそうなったのかという理由のほうが重要だと感じています。


いま自分がいい気分ではなかったり

自分や周りのひとのこういうところが嫌だなと思っていたり

望ましくない現状に悩んでいたりすると

どうしても自分や周りの人や環境を否定してしまうことがあると思います。

でもそれを問題としてとらえることが自分にとって違和感を感じるようになりました。


自分で何度も体験しているから思うことですが

自分にとって好ましくない状況を否定していても

苦しみが続いていくだけだと実感しているからです。


こうなりたいというきっかけになるものなのですが

自分が問題だと思い込んでいるだけだったということが

わたしにはたくさんあったし今もその思い込みを持っていると感じます。


その問題だと思っていたことから教えてもらって

そのあとの人生で助けてもらったことがたくさんあります。

だから問題というより現象というほうがしっくりくるかもしれません。

わたしたちは自分でこれがだめだと思っていることは

周りの人が同じことをしていてもだめだとだと思ってしまうことが多いです。


例えばこれはカウンセリングの訴えでもよくありますが

苦手なひとを嫌いだと思ってはいけないと思うほど

嫌でたまらなくなってストレスがたまるということです。


実際は嫌いと思ってはいけないと思うほど嫌になってしまうのですよね。

それは心のしくみとしてはとても自然なことなのですが

嫌いと思ってはいけないと思っていると

嫌だけど必要以上にがんばって愛想よくしなければいけないとか

なぜか好かれようとする行動をとってしまったり

逆にそうしない人に対して許せない気持ちが出てきて批判してしまったり

そういうことが多いのかなと思います。


だけどほんとうは

ひとりひとりの考え方は違うものだし

自分で自分に禁止していることが

誰かにとってはそうだとは限りません。

とてもあたりまえのことですが

自分以外の人には全く関係のないことなんですよね。


それはひとりひとり感じることや考えていること

大切にしていることがまったく違うから

似ていると感じたとしても実際はまったく違うのではと思っています。

だから自分以外の人のことはタッチできないというか

自分の範疇外のことなのだなと最近つくづく思い知らされています。

自分のことしかできないのだなと。


たとえ家族だとしても

もし思いどおりになったように見えてもそこに喜びはないような気がしています。

思いどおりになった気がして少しはうれしいと感じるかもしれませんが

また次から次に新たにこうしてほしいという思いがわいてくると思うからです。

だからほんとうに喜びを感じるのは

誰かを思いどおりにしたいと思わなくなったときなのかなと思います。


たとえばこうしてほしいと思うことがあれば

相手にも断る権利があることを前提にお願いすることはできるし

反対に自分がお願いされた時にはどちらも選べるということです。

あたりまえのことのようだけど

ここを自分の心に落とし込むことがなかなか難しいところなのかなと感じます。


わたしたちは自由に生きることができます。

おそらくそれはみなさんわかっていることかと思いますが

自分の思込みで自分を不自由にしているのかもしれません。


わたしもなんだか気分がよくないなと思うときは

自分以外の何かに期待していることが多いです。

ひとや環境や状況など。

それに気づいたら少しそのことについて考えてみるようにしています。

ひとりひとりまったくちがう人間なんだよなあと思うと

とりあえず自分のあり方や自分はどうしたいかを考えてみようと

以前よりはそう思えるようになりました。

そしてこの考え方はけっこう気に入っています。

自分を幸せに生きるためのカウンセリング

心理カウンセラーの佐戸恭子です 自分がどうありたいかを 感じ 気づいていくことを大切にしています

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